議員汚職疑惑を発端に、年末年始の世間を騒がせているIR(統合型リゾート)の問題。カジノの設置が絡んでいることからよりダーティーなイメージが増し、「カジノ法案の廃案」も国会では取り沙汰されています。また、「ギャンブル依存症」への対策がまだ不足しているので、設置には反対だという方たちもいます。
その一方で、日本はすでに「世界有数のギャンブル大国」なので、カジノが出来ても日本人にはあまり影響がないのではという意見もあります。たしかに、全国にくまなく立ち並ぶパチンコ店や、その他の公営ギャンブル施設をみているとうなずける気もします。
直近の2018年でも、パチンコ店の売上は年々目減りしているとはいうものの20兆円程度という調査もありますし、競馬や競輪などのいわゆる公営ギャンブルも、震災のあった2011年を底に年々売上を伸ばし、これも計5兆円程度はあるという状況で、たしかに「ギャンブル大国」ということはいえるかと思われます。
しかしほとんどの場合嫌悪の対象であるギャンブルに、人々がなぜこうも嵌り、日本はなぜ「世界有数のギャンブル大国」となっているのでしょうか。私たち株式会社デコムのIATチーム(Insight Analytics Team)が考察してみました。
消費者行動に垣間見られる「運命を自分の思うがままにコントロールしたい」欲求
私たち株式会社デコムの運営しているサービス「Trend banK」に、ギャンブル関連の事象がいくつかあるので、まずはそちらをご紹介します。
パッと選んだだけでも年収、年齢、性別、家族構成など真逆の属性のお二人で、老若男女を問わないギャンブルの魅力をすでにここからも看て取れます。
この二つの事象からは、ギャンブルをすることによって得られる「自分の運命を自分で決める」という価値が垣間見られます。
単純に「儲かる、儲からない」だけでギャンブルに嵌ることはない
もちろんギャンブルは賭け事なのでお金を賭けるわけですが、人がギャンブルに嵌る要因はそれだけではないようです。この二つの事象からも、ギャンブルは、「節約を強いられる」、あるいは「子供や家事に振り回される」生活から解放されたいという「抑圧からの解放」の役割を、まずは果たしていると推察されます。
ただ、それらは他の行動でも解消してくれそうな不満と言えるでしょう。さらに、ここから読み取れる欲求としては、「自分で自分の運命をコントロールしたい」ということがあるのではないでしょうか。あらかじめ決められた枠組みやルールの中で誰かと一緒に気を遣いながら、というような行動ではこの思いは成就しません。
つまり、ギャンブルをするのは、「他者を振り払い、自分の力だけで勝負する」、自分ひとりの空間で孤独な戦いをしたい、という隠れた欲求が背後にありそうです。普段から鬱陶しく感じている周囲の縛りから抜け出し、己の身一つで選択し、しかも一瞬で出る結果を一身に背負う快感を、ギャンブルに求めているともいえます。
近年、様々な場面で「自己責任」という言葉が出てきますが、特に日本人は世界的にみても「自己責任」が好きなようで、イギリスのチャリティー団体「Charity Aid Foundation(CAF)」の「世界寄付指数」という144か国を対象とした調査でも、日本人は「人助け指数」で142位、「寄付指数」で99位、「ボランティア指数」で56位という結果(2018年)が出ています。
つまり、何か良くないことがその人の身に起こったとしても、それはその人の「自己責任」であり、自分が手を差し伸べる必要はない、と考える人々が日本人には多いということになります。裏を返せば、仮にそれが自分であっても、手を差し伸べられる必要はなく、「責任は自分でとる」と考えていることになります。
日本が「世界で有数のギャンブル大国」であるのも、このことが関連しているのかもしれません。また、より自分の趣味や趣向で勝敗が決しやすい競馬や競輪の売上が、パチンコなどより近年特に伸びているのも、こうした理由からかと推察されます。
もちろん身を滅ぼしかねない危険をはらんでいて、「落ち目」といわれるギャンブルですが、SNSなどでの鬱陶しい人づきあいが広がる今、「己で切り拓いた運命を生きたい」と考える、普段「ままならない」生活を営む人々の欲求はつかんでいるのかもしれません。
カジノ法案の行き着く先が今後どうなるのかはわかりませんが、特に今の日本人はギャンブルに嵌りやすい気質で、さらにそれを助長するような社会背景も潜んでいるということはいえるのではないでしょうか。