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【第1回目】『大松孝弘×山口周氏 対談ログ』~ほんとうの欲求は、ほとんど無自覚~

当記事は2020年1月20日に、株式会社ピースオブケイクnoteイベントホールにて行われた、弊社デコム代表の大松孝弘と山口周氏との対談イベントの記事となり、全3回に分けお送りさせていただきます。

対談背景として

代表の大松が2020年01月10日に宣伝会議より「ほんとうの欲求は、ほとんど無自覚」を刊行したことによる出版記念イベントで大松の30分講演後に行われた60分の対談を書き起こししております。司会はデコムのデータサイエンティスト松本健太郎が務めました。

山口周氏プロフィール

1970年東京都生まれ。独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。ライプニッツ代表。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストンコンサルティンググループ等で戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞

将棋の指し方を教えたら将棋が上手くなるか

山口:今日のお話、まず2つ感想があります。1つは、私が普段から思っている問題意識と同じ点を見事に捉えて頂いたな、と感じました。もう1つは大松さんの話を聞かれて皆さんも感じられたと思うのですが、考え続けている人って、深みが出ますよね。どれくらい、インサイトについて考え続けられたのですか?と思いました。

方法論として粘って考え続けている人じゃないと、ここまで行き着けないと思うのです。スライドで「消費財メーカーの開発プロセス」を紹介されていました。コンセプトを作る時に定性・定量、パッケージやネーミングを作る時に定性・定量…確かにあのようなプロセスで進めていくべきなのですが、仕事を通じて、徐々に気付きながら知見として蓄積されていったのですか?

アート&サイエンスのらせん構造画像

大松:そうですね。

山口:何年ぐらい蓄積されたものなんですか?

大松:かれこれ、20年ぐらいは考えてます。

山口:そうですよね。1つのテーマで20年考え続けると、深いものが出てくるってことなんですよね。ちなみに10年前と今を比べてどうですか? この10年で、さらに深くなっているんでしょうか?

大松:たまたま週末に、2011年にデコムで作成した動画を見つけたんです。デコムってこんな考え方で、こういうことやってますというのを知って貰うヘンテコな動画です。それを改めて見て感じたんですが、言っていることはそんなに変わっていないんですね。問題意識は変わっていない

ですが、変わった点で言うと、アートをやる仕事ですと言いながら、再現性を求めようとしていた10年間でした。プロセスや、どういうやり方をしたら良くなるかばかり考えていました。会社には社員26名いますけど、僕だからできるとかは何にもならない。

山口:みんな出来るとなると、それはそれで困りますよね?

大松:組織としてもう少し出来ないかなぁ、コンスタントにインサイトが分かるにはどうしたら良いのかなぁ、なんて突き詰めて考えてきました。そうなると、サイエンスっぽい話になってしまいますけど。

山口:1人しか出来ないからこそ、競争優位という考え方もあります。誰でも出来るようにマニュアルで纏めましたとなると、それが直ぐ流出して「うちは元祖」「うちが本家」みたいになってくる。

一方で、ある程度教えて出来るようにならないと、ビジネスがスケールしないという問題も抱えている。インサイトの発見って、教えて出来るものなのですか?

大松:「将棋の指し方を教えたら将棋が上手くなるか」という話と一緒で、まぁ、ならないですよね。でも、将棋教室に通って上手い人とずっと対局するじゃないですか。そうやって上手くしていくのは可能かなと思います。

山口:全く上手くならないわけではないんですね。

大松:将棋に定石があるのと一緒で…。

山口:情報をリッチに与えて、インサイトを言語化してあげれば出来るようになるし、経験の場を与えること自体が企業の価値と言う見方もあるんでしょうね。

ちょっと系統が違う仕事ですが、アートに相当近い領域で、言語化して方法論としてまとめることに相当拘った人の1人に、電通の大先輩の佐藤雅彦さんがいらっしゃいます。佐藤さんは34歳の時に、セールスプロモーション局からクリエイティブディレクション局に希望して転局されたんですよね。

クリエイティブとしては遅咲き。当時の考え方として「20代で色んな経験をして、教え込まないとクリエイターとして大成しない」と言われていた。だから皆、教えたがらないわけですよ。

佐藤さんはもともと数学の研究をやっていた人で、同じようにクリエイティブにも「法則」があるんじゃないかと考えられたんです。そこで世界中のヒットシーンを大量に集めた結果、じゃんじゃんルールを量産する。本人は20ぐらい作ったと言っておられた。彼に作らせるとGRPに対して異常な認知度が出るので、一時期は「佐藤が来てくれるなら競合コンペにしない」ってクライアントが言ってくれて、営業局から引っ張りだこになったという話があるんです。言語化というのを聞いてそういう話を思い出しました。

 

言語化すると必ず理性をまとう

対談風景画像-2

 

山口:大松さんの講演を聞いて、僕は「マズローの欲求5段階説」を思い出しました。ビジネスの文脈で語れる人って、あんまりいないですよね。

考えてみれば、昭和は下2つの安全欲求と生理欲求の領域にアドレスして伸びたんですね。不満を言って下さいって聞くと「寒い」とか「腹が減った」とか「腐った食べ物食べちゃった」とか、子供でも言う内容を返してくる。「エアコンどうぞ」「冷蔵庫、必要ですね」と言える。ものすごく分かりやすい。不満を抱えている人も言語化しやすいし、その不満を数値化して定量的に把握しやすい。

ただ、安全欲求と生理欲求が解消されると、社会的欲求と承認欲求、自己実現欲求が残るんですが、これらは言語化しにくいと思います。

あともう1つ。マクドナルドに対する不満を聞いて「ヘルシーなら」「サラダが良い」みたいな反応って、頭で答えていると思うんです。一方で「分厚いハンバーガーをガブッと食べたい」みたいな反応は、心で答えていると思うんです。

「言語化」がすごく難しいのは、必ず大脳新皮質を経由するから、つまり理性そのものなんです。言語化すると必ず理性をまとう。「エモーション」を言語化するトレーニングって小説家か詩人ぐらいしかやらないでしょう。普通の人って、言語化すると必ず理性で答えてしまう。

ですから、お話を聞いていて「なるほどな!」と思ったのは、フォーカスグループインタビューでも定量の市場調査でも、言語を一回経由しちゃうと理性を経由した回答になってしまう。一方で「心を動かす」って大脳辺縁系の話なので、言語化しにくいんですよ。ここは限界がある。

物質的な欲求、言語化しやすい欲求が解決されちゃった時代における欲求の在り方と、20世後半に開発されたマーケティング手法がものすごくズレを起こしているところに、大松さんは切り込んだんだなー、そこで大きな価値が生まれたんだなーというのを感じました。

ーー(司会進行:松本)お話がすごく盛り上がっているので、ここで少しガヤを入れます。大松とも以前話したのですが、非合理的な人間の行動をサイエンスで捉えるには限界が来ているのではないか、とデコムでは考えるようになりました。この10年、データに対する比重が高まる一方で、デコムの存在価値が格段高まったのは、それだけじゃいけないと気付かれた企業様もおられるからだと考えています。そのあたり、大松さんの想いがあればお聞きしたいです。

 

大松:山口さんから「10年前との変化」という話を頂きました。もう1つお話をしようと思っていたのですが、企業側は確実に変わってきたという認識があります。

10年前は、マーケティングリサーチは「仮説があって検証するもの」と思われていました。サイエンスの部分をマーケティングリサーチとして取り扱っていたんです。アートの部分、つまり「仮説を広げる」のは調査と相入れないというか、「そんなのお前の仕事だろ?頑張れよ!」というガッツで済まされていた。この10年で、アートの部分に投資をしようとする企業が多くなったと思います。

我々のビジネスもキツかったです。仮説探索を手伝うんでお金下さい、なんて言っても伝わらなかった。でも、良い仮説が見つからない限りダメなんです。どれだけ素敵な仮説検証の手法があっても、仮説を良くしてくれるわけでは無い。仮説探索にお金を使わないといけない、という問題意識がまさに生まれてきています。

デザイン思考とか、そういう方法を使えば筋の良い仮説がうちの会社でもいっぱい出せるのかな、と取り組んでくれる企業が多くなっている気がしますね。サイエンスの限界と松本は言いましたが、サイエンスで出来ることは分かっているし、MBAに行けば教えてくれることも分かっているし、その先を教えてくれよ!と考えているのだろうと思います。

山口:定量調査って、架空の平均像を作っちゃいますよね。平均がこれぐらいで、標準偏差がこれくらい。でも、どちらかというと、n1の真実が重いんです。

で、僕また話がどんどん飛ぶんですけど…ビジネススクールでマーケティングを教えていた時期があるんです。架空の平均像でも構わないと思うんですけど、そこから人間像を立ち上げられる人と、立ち上げられない人がいるんですよ。イマジネーションの問題だと思うんですが。

人間像を立ち上げられない人って「車のことが良くわからないお婆さんが、タイヤからなにかよく分からないアラートが出たんで、とりあえず買いに来ました」ってときに、どういう戸惑いを覚えるかがイメージができないんです。だから架空の平均像、抽象データに戻っちゃうんですね。

抽象データって左脳であり客観なんですけど、いったんそのデータを刺激材として、自分の中に人間を立ち上げるべきなんですよ。そのお婆さんがどういう気持ちになるか、どういう行動をとるのかって、ある種のストーリーやシーンを思い浮かべられる人が、人間像を立ち上げられる人。

昔は抽象データがパワーがあったし、欲求や不満の質が分かりやすかったんですけど、とは言え、人に対する洞察力が無いと厳しいってのは昔から変わらなかったような気もしますね。

>>>次回の話題【第2回目】『大松孝弘×山口周氏 対談ログ』~ほんとうの欲求は、ほとんど無自覚~n1から万人に共通して根底に流れる欲望を見抜いてやれ/それじゃないんですよ、お母さんの琴線は/自分自身が求めていることは何なの?