3月20日に発売されて以降、様々なところで「あつまれ どうぶつの森」、通称「あつ森」が話題になっています。世界の名だたる美術館や有名ファッションブランドとのコラボも各種ニュースで取り上げられています。
そして、いうまでもなく、このコロナ禍とは切っても切り離せません。在宅がある種義務付けられているのは万国共通であり、「あつ森」が世界中で外出を控える自粛中の人々のお供の一つになっていたようです。
実際に、世界販売数が6週間で1341万本に達し、“化け物”級の売れ行きともいわれています。さらに、任天堂のゲームソフトとしても発売当月(3月)の売れ行きとしては、史上3位(1位と2位はともに2008年と2018年の「大乱闘スマッシュブラザーズ」)だったようです。
もとから人気のある「どうぶつの森」シリーズが今回のコロナ禍と相俟って空前の大ヒットとなっているわけですが、では、老若男女をひきつけてやまない「あつ森」の魅力は一体どこにあるのか。「癒しの世界」、「エンドレスに続けられる」など、その魅力はすでに語られ尽くされている感もありますが、今回もインサイトの側面から考えてみたいと思います。
自分だけの理想郷を求める人々
私たち株式会社デコムの運営しているサービス「Trend banK」に、「あつ森」の魅力の源泉に迫れそうな事象がありましたので、いくつか紹介します。
収入に応じて、建築家選びから設計に至るまで、どんなに時間をかけてでも自分のこだわりを貫き、自分にとって最高の居場所を求める方の事象です。ただ単純にこだわりの住宅を作ろうとするだけでなく、ほとんど他者の意思を介在させずに、終わりなき「ユートピア」探しを続けているのが興味深いです。
コロナ禍で、自宅にいなければならない生活が続いていく中で、これまでただリラックスするための場所だった自宅という空間を、自分が最も「快」を感じる環境に変えることで、「理想の場所」として、なんでもできる場所にするという事象です。こちらは、今の我々の心情に近い、わかりやすい例と言えます。
自宅に関わる2つの事象ですが、これらから垣間見えるのは、自分の思惑通りに作られた空間に「癒し」を求めるだけにとどまらない、「ユートピア」を作り上げることの快感と魔力なのではないかと推察されます。
コロナ禍が引き立たせる「ユートピア」の魔力
「理想的な場所」という意味合いで使われることが多い「ユートピア」という言葉ですが、1516年に出版された思想家のトマス・モアの著書「ユートピア」の中に登場する架空の国家が語源になります。
「ユートピア」に出てくる理想郷では、住民が美しく清潔な服を着て、私有財産はなく、必要なものは共同の倉庫のもので賄います。勤労が義務となっており、基本は農業(労働時間は6時間)で、空いた時間に芸術や科学研究をおこなう、とされています。
これらは「あつ森」の世界観とは少し異なる部分もありますが、実は、この作品の後にも様々な形で表現された「ユートピア」の特徴には、「あつ森」との共通点がみられます。以下、一般的な「ユートピア」像を列記します。
- 周囲の大陸と隔絶した孤島である。
- 科学と土木によってその自然は無害かつ幾何学的に改造され、幾何学的に建設された城塞都市が中心となる。
- 生活は理性により厳格に律せられ、質素で規則的で一糸乱れぬ画一的な社会である。ふしだらで豪奢な要素は徹底的にそぎ落とされている。住民の一日のスケジュールは労働・食事・睡眠の時刻などが厳密に決められている。長時間労働はせず、余った時間を科学や芸術のために使う。
- 人間は機能・職能で分類される。個々人の立場は男女も含め完全に平等だが、同時に個性はない。なお、一般市民の下に奴隷や囚人を想定し、困難で危険な仕事をさせている場合がある。
- 物理的にも社会的にも衛生的な場所である。黴菌などは駆除され、社会のあらゆるところに監視の目がいきわたり犯罪の起こる余地はない。
- 変更すべきところがもはやない理想社会が完成したので、歴史は止まっている。ユートピアは、ユークロニア(時間のない国)でもある。
(Wikipedia「ユートピア」より引用)
ややまがまがしい表現ですが、「あつ森」のホンワカした世界観とがんばって重ねてみると、重複する特徴も見受けられるのではないでしょうか。
まず「あつ森」が「孤島」であることは、「ユートピア」としての大きな要素といえるでしょう。誰にも邪魔されない隔絶された環境の中で、自分の働きに見合った理想の場所をみずからが作れる。自分の力だけでは守れない「自分の領域」を必死に守る今の人々の心情は、それだけでも魅き寄せられます。
また、コロナ禍においては、「自宅を一歩出ると命の危険に溢れた世界」に近い感覚を、リアルに体験しています。そうした感覚の中で生きている人間にとって、疫病やむごい犯罪への心配がない「あつ森」の世界は、まさに「ユートピア」のような場所といえます。
一方で、多くの人々は「こんな世界はありえない」ということも、承知の上です。しかし、それでも、人類は数多くの「ユートピア」を実際に思い描いてきました。そうした欲求は、災難が大きければ大きいほど増幅するのではないでしょうか。
我々の今の状況と終末期の方の心境とは簡単には重ね合わせられませんが、何もできない苦痛や苦悩という点では共通しています。そのような苦しい状況は、人を自分の「理想」や「希望」に目を向けてしまいがちな傾向に追い込むということは看て取れます。
そして、こうした仮想の世界は、人間の希望が投影されつつ、その対極にある「完璧な世界ではない」現実への絶望までもとりこみます。「あつ森」の世界には、コロナ禍を生きる我々の希望とともに、「完璧な世界は存在しない」という絶望も投影されているといえます。
「こんな理想的な世界など存在しない」という絶望の裏にある、何の災厄もない環境の中で誰にも邪魔されずに自分の理想郷をつくりたい、という欲求を充たす。これこそが、このコロナ禍で、多くの人を魅きつける「あつ森」の魔力といえるのではないでしょうか。